COMICリュウにて連載させていただいている
「嵐ノ花叢ノ歌」について。
英訳するとすれば
Flower of tempest, ballads of clouds
こっちの方が意図するニュアンスは伝わるでしょうか
ムラクモ、については天叢雲剣であったり、
英語で表現する所の「人々」の意味であったり。
「主人公が誰だかわからない」という批判もありましたが
そういう群像劇ですよ、と
「月に叢雲 花に風」という諺を捩って決めたタイトルです。
この諺自体は好事は必ず邪魔が入って長くは続かない、と言う意味なんですが。
その諺のバリエーションとして
「花に嵐の喩えもあるさ、さよならだけが人生だ」と言う言葉があります
元は唐末期の漢詩で、それを井伏鱒二が改めたものだそうで
このさかづきを受けてくれ
どうぞなみなみつがしておくれ
はなにあらしのたとえもあるぞ
「さよなら」だけが人生だ
どことなく、西洋における「メメント・モリ(死を想え)」と通じるものがある。
「今は飲むときだ、今は気ままに踊るときだ、明日我々は死ぬのだから」だそうな。
イザヤ書には既にその観念が書かれており、
果たして唐まで流れ流れて辿り着いたのか、その詩を詠んだ人のオリジナルの思想なのか。
どちらでもいいが。
一方寺山修司はこう詠んだ。
流るる雲を尋めゆかば
たどりつかむか 冥界に
ひとを愛するさびしさは
ただ一茎のひなげしや
さよならだけが 人生だ
あるいは
さよならだけが
人生ならば
また来る春は何だろう
はるかなはるかな地の果てに
咲いている野の百合何だろう
…とまあ恐らく、設定以外で語られる部分ではそんな感じの物語になると思います
ちなみに「叢ノ歌」の、なぜ「歌」になったかと言えば
プロット段階で仮タイトルが「Hyperballad(仮)」となっていた時の残滓です。
もちろんBJORKのアレ。
問題は「Hyperballad(仮)」と名乗れるほど連載が続くかなのです
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